コラム「浮気はどこからが浮気か」
毒舌太郎先生とは
なんだよ、あんたも広告を見てまんまとやってきちまったのか。どこからが浮気かなんて「人それぞれ」で終わりだろうがよ…。まぁ、語れることを語れって言うなら、やるだけやってはみるが。
どこからが浮気か、は恋人と議論しないほうがいい
まず「どこからが浮気か」を考える前に、この話、あんまり彼氏彼女とは話し合わないほうがいい。
そもそも、どこからが浮気かを定める必要があるだろうか。まず恋人同士には当然ながら「お互いを思いやる」という前提があるだろう。しかし「どこからが浮気か」はすなわち「どこまでが浮気ではないか」の議論であり、これはお互いを思いやるという前提が欠けている議論だ。
分かりやすく言えば、恋愛を二人三脚だとして、何も言わなくても「二人で協力していこう」という前提があるはずだ。そこで「どこまでなら迷惑かけていい?」という話をするだろうか。「一回なら転んでいい?」などを聞くやつぁはいない。いざ実際に転んだときに立て直しなどに注力するだけだ。
どこまでが浮気かを議論する二人は、お互いに傷つけ合う方向に最初から向いている。そんな二人の話し合いが殺伐としたものになるのは目に見えている。だから、この話は、恋人とはしないほうがいいわけだ。
そもそも、どこからが浮気かを定める必要があるだろうか。まず恋人同士には当然ながら「お互いを思いやる」という前提があるだろう。しかし「どこからが浮気か」はすなわち「どこまでが浮気ではないか」の議論であり、これはお互いを思いやるという前提が欠けている議論だ。
分かりやすく言えば、恋愛を二人三脚だとして、何も言わなくても「二人で協力していこう」という前提があるはずだ。そこで「どこまでなら迷惑かけていい?」という話をするだろうか。「一回なら転んでいい?」などを聞くやつぁはいない。いざ実際に転んだときに立て直しなどに注力するだけだ。
どこまでが浮気かを議論する二人は、お互いに傷つけ合う方向に最初から向いている。そんな二人の話し合いが殺伐としたものになるのは目に見えている。だから、この話は、恋人とはしないほうがいいわけだ。
男の基準と女の基準はすれ違いがち
ところで世間の人はどう思っているだろうか。
基本的に(ここにも細かい論点がたくさんあるんだが)女は恋愛に精神面での充実を求めるのはなんとなく分かるだろう。男のほうがどちらかといえば肉体的な欲求が強いのも分かるだろう。カップルのうち、女のほうは「彼氏の心が持っていかれる」ことを恐れがちだし、男のほうは「彼女の肉体が持っていかれる」ことを恐れがちだ。
だから女は「どこからが浮気か」の話をすると「やましければ浮気」「相手にドキドキしたら浮気」など心にこだわる人が多い。
一方で男は「キスからが浮気」「エッチしたら浮気」などと行為に基づいたラインを引きたがる人が多い。
こんな男女が「どこからが浮気か」を話し合えば、仮に雰囲気が悪くならなかったとしても、噛み合わないに決まっている。どっちの基準に決めようが、どっちかがモヤモヤしたまま終わる。
基本的に(ここにも細かい論点がたくさんあるんだが)女は恋愛に精神面での充実を求めるのはなんとなく分かるだろう。男のほうがどちらかといえば肉体的な欲求が強いのも分かるだろう。カップルのうち、女のほうは「彼氏の心が持っていかれる」ことを恐れがちだし、男のほうは「彼女の肉体が持っていかれる」ことを恐れがちだ。
だから女は「どこからが浮気か」の話をすると「やましければ浮気」「相手にドキドキしたら浮気」など心にこだわる人が多い。
一方で男は「キスからが浮気」「エッチしたら浮気」などと行為に基づいたラインを引きたがる人が多い。
こんな男女が「どこからが浮気か」を話し合えば、仮に雰囲気が悪くならなかったとしても、噛み合わないに決まっている。どっちの基準に決めようが、どっちかがモヤモヤしたまま終わる。
基準やルールなんて決めないほうがいい
仮に二人が合意に達して「異性と二人で遊びにいったりしたら浮気ね」などと決めたとしよう。もしそんなときに彼氏彼女が、異性と二人で歩いているのを見たら、衝撃を受けるだろう。浮気だ!と。
話はいきなり飛ぶが、例えば幽霊が出そうで、夜中にトイレに行くのが怖いとしよう。怖いからといって、トイレにアイドルポスターを貼るとすると、どうなるだろうか。アイドルをいつも眺めていたいからポスターを貼ったというのならいいが、幽霊が怖いからポスターを貼ったことを自分は知っているから、そのポスターが恐怖の象徴になり、ポスターを見ては幽霊を思い出して恐ろしくなるだろう。
どこからが浮気かという議論が何らかの結論に達しようが、それが「浮気されたくない」という痛みから生成された結論である限り、その二人の合意は「浮気されたくない不安の象徴」になる。相手が異性と二人で歩いているのを見かけたとき、「相手がどういうつもりだったのかを聞こう」などと自然に構えられず、定めたルールがちらつき、浮気される不安が真っ先にやってくるだろう。
二人三脚の話に立ち戻って、つまりは「どこからが浮気か」などは定めず、お互いに思いやりをもっていこうという前提を大事にして、何か不安や疑問があったときに聞くなどして不安をなくしていけばいいのではないだろうか。
話はいきなり飛ぶが、例えば幽霊が出そうで、夜中にトイレに行くのが怖いとしよう。怖いからといって、トイレにアイドルポスターを貼るとすると、どうなるだろうか。アイドルをいつも眺めていたいからポスターを貼ったというのならいいが、幽霊が怖いからポスターを貼ったことを自分は知っているから、そのポスターが恐怖の象徴になり、ポスターを見ては幽霊を思い出して恐ろしくなるだろう。
どこからが浮気かという議論が何らかの結論に達しようが、それが「浮気されたくない」という痛みから生成された結論である限り、その二人の合意は「浮気されたくない不安の象徴」になる。相手が異性と二人で歩いているのを見かけたとき、「相手がどういうつもりだったのかを聞こう」などと自然に構えられず、定めたルールがちらつき、浮気される不安が真っ先にやってくるだろう。
二人三脚の話に立ち戻って、つまりは「どこからが浮気か」などは定めず、お互いに思いやりをもっていこうという前提を大事にして、何か不安や疑問があったときに聞くなどして不安をなくしていけばいいのではないだろうか。
あえて「どこからが浮気か」を決めるなら
人それぞれ、されたら嫌なことも、何を浮気だと感じるかも、違う。あえて思いやりをもってどこからが浮気かを語るなら、相手が浮気だと思うことが浮気ということになるだろう。浮気という概念自体が相手あってのことだから、相手の浮気の基準こそが「どこからが浮気か」の答えになる。
もしその基準が厳しすぎるものであれば、相手がどうしてそういう高い基準を置いているのか(不安だからだが)、自分はどうしてその基準だと困るのか、気持ちを伝え合ってお互いの理解に達するようコミュニケーションをとるべきだろう。すれ違いは、いつも気持ちを伝え合うことでしか解消できない。殺伐とした戦いではなく、思いやりの中から「どこからが浮気か」の声をお互いに分かり合うのであれば、この話も意味があると言える。
結局のところ、どこからが浮気かなんて、普遍的な基準はない(当たり前だが)。どこか画一的な基準を定めたかった人にこそ、いろんな価値観やいろんな気持ちをつぶさに見ていき受け止める姿勢が求められているのではないだろうか。
もしその基準が厳しすぎるものであれば、相手がどうしてそういう高い基準を置いているのか(不安だからだが)、自分はどうしてその基準だと困るのか、気持ちを伝え合ってお互いの理解に達するようコミュニケーションをとるべきだろう。すれ違いは、いつも気持ちを伝え合うことでしか解消できない。殺伐とした戦いではなく、思いやりの中から「どこからが浮気か」の声をお互いに分かり合うのであれば、この話も意味があると言える。
結局のところ、どこからが浮気かなんて、普遍的な基準はない(当たり前だが)。どこか画一的な基準を定めたかった人にこそ、いろんな価値観やいろんな気持ちをつぶさに見ていき受け止める姿勢が求められているのではないだろうか。
→その他コラム「ケータイを覗き見することについて」
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